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映像情報学習室

 

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映像情報学習室では、県下8名の梨づくり名人がどのように梨を栽培しているのか、良い梨を作るための秘訣はなにか、などをビデオで紹介しています。
篤農家の剪定技術、土壌改良の様子が解説付きでご覧いただけます。
「梨人物展」では、二十世紀梨100年の礎を築いた人物にスポットをあて、写真や本人直筆の貴重な技術資料などを展示しています。

梨人物展の紹介

梨人物展では、梨産地鳥取県の礎を築いた人物にスポットをあて、当時の写真や本人直筆の技術資料、著書などを展示しています。 梨を作りこなす技術を開発した先人達の、血のにじむような努力によって産地が発展してきたことがわかります。

北脇 永治 氏(鳥取市桂見)

北脇永治(きたわきえいじ)氏は1904年千葉県松戸市の二十世紀梨の発見・育成者、松戸覚之助(まつどかくのすけ)氏より10本の苗木を導入しました。これが鳥取名産「二十世紀梨」の歴史の始まりと言われています。しかし、二十世紀梨の栽培は、順調にはいきませんでした。果実を腐敗させてしまう黒斑病(こくはんびょう)という大敵が現れたのです。永治は防除組合を組織し、その会長として、県下一斉防除を行い、黒斑病の防除に成功しました。一方、全県一本の梨販売組織をつくり、梨生産者をまとめ、販売ルートの拡大にも力を注ぎました。

高田 豊四郎 氏(八頭郡八頭町)

高田豊四郎(たかたとよしろう)氏は、三朝村長で果樹栽培を奨励した父の影響を受け、少年時代から果樹栽培に関心を持っていました。当時果樹栽培の先駆者であった小山益太(こやまますた)を師と慕い、年2~3回は岡山へ通い続けた。研鑽を重ね、二十世紀梨の栽培技術の研究と普及一筋に50年の長きにわたり尽力しました。
傾斜地のオールバック整枝を発案して良果多収を導くとともに、パラフィン紙袋を初めて鳥取県に導入して黒斑病の予防に大きな貢献をするなど、産地発展の礎を築いた。
 

中尾 利治 氏(八頭郡八頭町)

熱心な栽培者で、当時山陰随一といわれた貯蔵庫を山をくりぬいて造り、5月まで梨を販売しました。
その他、二十世紀梨100年の礎を築いた人物の紹介、貴重な資料等を展示しています。

 

菊池 秋雄 氏

菊池秋雄(きくちあきお)氏は、津軽リンゴの始祖と呼ばれた弘前藩士菊池楯衛(たてえ)の長男として生まれました。東京大学農学部を卒業後、農学研究の道に進みました。長く園芸学会長を歴任するなど、日本の果樹園芸学の権威として多大な業績を残しました。1922年、新しく創立された鳥取高等農業学校(現在の鳥取大学)教授に赴任しました。在職期間はわずか4年間でしたが、梨の研究だけでなく、当時黒斑病に苦しむ二十世紀梨栽培の現地指導に大きな役割を果たしました。 一方、新品種の育成にも情熱を傾け、特に二十世紀を親として育成された「菊水(Kikusui)」の優れた形質は現在の主要品種となっている「幸水(Kosui)」「豊水(Hosui)」に受け継がれています。